春日局の出生地と黒井城跡

戦国時代の山城、黒井城跡 (猪ノ口山356m)と山麓にある興禅寺 (春日局出生地)を訪ねました。

天正3年(1575)織田信長は明智光秀に丹波征討を命じ天正6年(1578)落城。

明智光秀は重臣斎藤利三を城主に任じ、利三は下館(現興禅寺の場所)を中心にこの地を治めた。

春日局 (幼名:福) は斎藤利三の娘でここで生まれて3才まで居住しました。

春日局の名の由来は、生誕地名の春日町(兵庫県丹波市)からだそうです。



    先ず興禅寺を訪ねました。
↓ 車道から見た門、奥に赤く写っているのは楼門。 屋根右奥の山が黒井城跡。
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↓ 楼門。
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↓ 楼門脇の石碑、「春日の局出生地」。
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↓ 本堂。
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↓ お福(春日局)が腰掛けてあそんだといわれる庭石。
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↓ 産湯に使った井戸跡、現在も湧水があります。
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↓ 高石垣と水郷、下館当時のものだそうです。
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     城跡に登ります。
↓ 登山口の石碑 「黒井城跡」、石柱は「保月城 趾登山口」。黒井城は別名 保月城:保築城ともいうそうです)。
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↓ 登山口から少し入った辺り。
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↓ 登山道。
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↓ 登山道。 道中で行き先の明るい所は何か有りそうで気になります、開けた所に赤門でした。
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↓ 中間地点にある赤門。
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↓ 石踏の段跡。
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↓ 登山道。
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↓ 東曲輪跡。
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↓ 三の丸跡、28m×23m。
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↓ 二の丸跡、40m×12m
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↓ 本丸跡、48m×22m。
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↓ 本丸、三角点 356m。
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↓ 本丸、石碑 「保月城 趾」 。
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↓ 本丸、虎口koguchi。
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↓ 本丸の石垣、野面nozura積。
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↓眺望。
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おわり






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